2010年2月17日水曜日

水戸黄門再放送

 ここのところ、毎日水戸黄門の再放送を見ている。水戸黄門の再放送と侮るなかれ、最近は一日の中で TBS の視聴率の一番高いのが水戸黄門再放送ということもあるそうだ。

 見るといっても、ちゃんと見ているわけではない。DVD レコーダーに録画して、ネットサーフィン(w しながら BGV で流しているだけである。

 見ていて気づいたのは、傍でいうほどワンパターンではないこと。悪者に人がひとり殺されても、黄門様は「まだまだ」と重い腰を上げないといわれるが(オイラもそう思っていた)、実はあんまり人が死なない。初代、東野英治郎はよくわからないが、2代目西村晃の時点で、農民・町民が黄門様のいる時間軸で死ぬことはまずない。死ぬとすれば黄門様がその地に来る前の話。黄門様がそこにいるときに死ぬのは忍びか侍。それもたまに。里見浩太郎の代になると誰であれまず死なない。

 それでも違う意味のワンパターンには気が付いた。「部」が変わったところで似たようなプロットを役者を変えて流すのだ。他の「部」の話を思い出して比べながら見ていくと、これがなかなか面白い。
 その他、いろんな時代劇を見たり、池波正太郎を読んだりで江戸時代の背景を知った今見返すと、黄門様が恐れられた本当の意味もわかるのだが、これはフツーの人がフツーに暮らしていたらちょっと気が付かないだろう。

 と、いうことで、しばらくは楽しめそうだ。

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